Grief = 悲嘆、かなしみの種
以下、2011年に下書きしていた内容
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http://gltoko.blogspot.com/2010/06/blog-post.html
(ハーバルゴールド再び登場)
昨年、G-Lの足の治療をしているときにグリーフケアという言葉を知った。
その頃は何でだろう? 落ち込んでいられる余裕があったんだろうね、^^;
異常な落ち込み・不安・どこに向けてよいかわからない嘆きの感情に襲われていた。
当のG-Lはイキイキとすごし苦しみなんて感じていない様子なのに、
自分がこんな気分になっていてはダメだ、こんな気持ちになるのはおかしいと思っていた。
しかも今またこんな気持ちに陥るの??
これは何なんだ??と調べ、グリーフケアというところにたどり着いた。
「大切な人を失ったあとの悲しみの経過」としてグリーフケアは提唱されているのかな?
今また、この『GRIEF』ということについてアレコレ考えてる。
病気を知らされて、また治療中、介護する人がその温もりを失ったとき、、
予期せぬ突然の悲しみ、、
人それぞれ色んな状態の悲しみ苦しみがやってくる。
そこで生じる感情(さみしい・自責・落ち込み)は心があるから当然のことで
納得できずに怒りや憤りが湧き上がることもあるかもしれない。
これらすべてが悲しい出来事を受け入れまた歩き出すために必要な手順なんだと理解した。
そしてあの頃、悲しくなったり不安になってもいいんだ~と解かったら気分はとても楽になった。
治療や介護、おたがい負担になりすぎては何のための行いかわからなくなる。
治療や介護でわずかでも喜びを見出せればいいけれど。
介護は命を見送る作業ともいえる。
どのようにすごし旅立ちを見守るのか。
いろいろと緩和し調和がとれるようになるといい☆
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上記は以前書いて下書きになっていたもの(2011・3月)
投稿せずにメモ書きのため自分にしかわからない部分も多々あると思う。
介護や治療について考え、答えはなく複雑な気分になり保留したもの。
今回、決定的に違うことはジールの様子。
急に食べなくなってからは、ほっといてくれというような感じだった。
少しずつジールのことまだ残していきます。 2016・元旦
2016年1月1日金曜日
2015年12月31日木曜日
ペットロス真っ只中
26日に火葬してジールのからだはお骨になった。
今は遺骨をそばに置いて眠る日々。
昼間はジールの被毛やひげなど、かけらを見つけることが喜び。
精神的に危ない
体調もずーっと優れない、良くならない
自分の生活の中のあらゆる場所でジールがいないということを認識し涙が出る。
とくにスーパーへ行くことが億劫。
ジールの食材を探し、用意することが日課で喜びだったことをとても実感する。
ぼーっとしてばかりでなんとか生きている
ペットロス、グリーフケアなんかも前もって覚悟、どうするか予習していたけど全く意味なし。
喪失感はとんでもなく、、、、、たいへんだ
明け年は明るくすごしたい
・・・希望が出てきてよかった。。
2015年12月25日金曜日
2015 12月25日
今朝ジールが永眠しました。
とても穏やかで暖かくとても心地よく旅立ったんじゃないかと思います。
最後のときジールも私も苦しみや悲しみを全く感じることがなかった。
からだも魂もすべてが寄り添ってとてもほんわかしていた。
ジールのからだは冷たくなってしまったけれど、
目や耳、おなかが動くようにたまに見える。
とても穏やかで暖かくとても心地よく旅立ったんじゃないかと思います。
最後のときジールも私も苦しみや悲しみを全く感じることがなかった。
からだも魂もすべてが寄り添ってとてもほんわかしていた。
ジールのからだは冷たくなってしまったけれど、
目や耳、おなかが動くようにたまに見える。
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